こんにちは、ゆうらです🌻
『動物たちは何をしゃべっているのか?』という本を読了したので、本を読んだ感想とか読んでいて思ったこととかを記録しておこうと思います!
本の内容にがっつり触れていくので、「誰かの感想を見るのは読んでからがいい!」という方はぜひこの本を読んでからこちらの記事を見てください!
はじめに:さらっとひとくちレビュー
はじめに、さらっとひとくちレビューをしていきたいと思います。
この本は、ゴリラの研究をされている山極寿一さんと、シジュウカラの研究をされている鈴木俊貴さんがお話をしているところを文字に起こした、対談形式の本です。
ゴリラやシジュウカラのコミュニケーション方法はもちろん、他の近縁種の動物たちの事例や、最終的には人間たちのことにまで話は発展していきます。
「動物たちには、人間には想像もできないような世界の見方があるに違いない」を主軸に、そんな動物たちの世界を解き明かしたいというのと、人間たちのコミュニケーションの歴史を紐解きたい、という趣旨の本でした。
\気になる方はぜひ手に取って読んでみてください!/

以降は本の内容にがっつり触れていくので、未読かつネタバレされたくない方は回れ右!
動物たちはおしゃべりだった
わたしは小さいころから、「人間がそうであるように、動物たちにだって動物たち同士での言語があるに違いない」と思っていました。
でも、わたしは研究者じゃないので、それを確かめる術を持ち合わせていませんでした。
つまり、ただの仮説に過ぎなかったんです。
でも、この本には、鳥の鳴き声だけでも「この声は群れをまとめるための声」とか「この声は危険を知らせる声で、こういうときは空を見るとオオタカが飛んでいる」とか、「見つけた天敵の種類によって鳴き声が違う」という、わたしの仮説を裏付けるようなことが書いてあって、「ああ、やっぱり動物たちにも彼ら独自のコミュニケーションが存在するんだ!」とうれしくなりました。
しかも、シジュウカラに至っては、天敵によって違う鳴き声を出すだけじゃなく、鳴き声とイメージが結びついているというじゃありませんか!
わかりやすく人間で言うと、「りんご」と聞いたときに、あの赤くて甘くておいしい、木になる果物のことを思い浮かべますよね。それが、シジュウカラの脳内でも起きているみたいなんです!
これはすごいことだと思いました。
鈴木さん曰く、「小鳥も人間も結構似ている」そうです。なぜなら、視覚と聴覚に頼って世界を認識しているから。
だから、意外と共通点は多いのかもしれません。
動物たちの心
動物はわたしたちと同じようにはしゃべれないから、心の中をうかがい知ることはできません。
しかし、山極さんによると、動物たちにも頭の中には複雑な思考や記憶が入っているそうです。
確かに、わたしには大好きなわんちゃんのYouTubeチャンネルがあるのですが、それに映っているわんちゃんたちを見ていると、感情豊かだなあと思うし、「ここは入っていい」とか「ここは入っちゃダメ」「だけど入りたい」「だからこうする」とか、いろいろ考えているんだろうなと思います。
大好きなわんちゃんのYouTubeチャンネル👇
さらに、シジュウカラには言葉(単語)だけじゃなく、文法が存在するらしいです!
シジュウカラは、コガラと一緒に群れをなすことがあるのですが、コガラ語も理解することができるらしいです。
そこで、鳥界のルー語を聴かせてみたところ、言葉は違っても文法が合っていれば意味が通じたそうなんです!
これもすごい発見だと思いませんか?
わたしはこの部分を病院の待ち時間に読んでいたのですが、病院内で興奮するやばい人になってしまいました。もちろん表には出していないので周りの人は気づいていないだろうけど。
そして、シジュウカラに文法があることはわかった鈴木さんは、シジュウカラに併合(二語をひとつのまとまりとして認識する能力)があるのかも確かめることにしました。
結果…あったんですよ!詳しい実験内容は本を読んでほしいんですけど、これもまた病院内で興奮するやばい人になりました。
他にもいろいろ興奮ポイントがあって、わたしはこの本をKindleで読んでいて、Kindleは文章をなぞるとマーカーが引けるので、興奮ポイントに黄色のマーカーを引きながら読んでいたら、いつの間にか本が真っ黄色になりましたが、ここらへんは本書を引用するばかりになってしまうので割愛します。詳しくは本を読んでください。ぜひ読んで。めっちゃ面白かったから。
言葉から見える、ヒトという動物
本の中で、「人間の言葉と他の動物たちの言葉を隔てる決定的な違いは、「目の前にないものについてどれだけ饒舌に語れるか否か」だと思う」と鈴木さんはおっしゃっています。
実際、シジュウカラは「今」「ここ」についてはたくさんしゃべっているようですが、昨日の出来事や明日の予定について話しているところに遭遇したことはまだないそうです。
「見えないものを頭に思い描き、それについて語り始めたところから、コミュニケーションは一気に複雑化した」と山極さんも考えているようです。
なぜ人間が「今」「ここ」以外のコミュニケーションも取るようになったのかというと、「二足歩行になったことが大きい要因なのではないか」と山極さんはおっしゃっています。
さらには、言語と文化は密接に関わり合いながら進化してきたものだともおっしゃっていました。
しかし、現代社会においては、「人間の心身は暴走する言葉に置いて行かれている」と山極さんは警鐘を鳴らします。
暴走する言葉、置いてきぼりの身体
「文字が生まれたことで、時空を超えたコミュニケーションが可能になった」と鈴木さんが発言します。
これは、わたしもすごく思います。文字がなかったら、こうしてわたしがなにかを発信することもなかったかもしれません。絵は描けるけど。



でもまんがは描けないね
さらに、鈴木さんは「文明は文字の力によって発達したといっても過言ではない」と続けます。
しかし、山極さんは、「人間の思考そのものが文字に制約されるようになったということでもある」とおっしゃいました。
確かに、昔は「なんとなくいいから」とか「なんとなくかっこいいから」とか、「なんとなく」が通用していたように思います。
でも、最近では、「なんでこれがいいのか」「なんでかっこいいのか」といったように、「なんで」を言語化しなくてはいけないような気がして(わたしがイラストレーター兼デザイナーなのもあるかもしれないけど)、なんだか窮屈な世の中だなあと感じています。
「わたしたちは言葉をやりとりするとき、表情や抑揚、ちょっとした仕草などの非言語コミュニケーションも使っている」と山極さんはおっしゃいます。
ところが、文章になると、そういった非言語情報はすべて切り捨てられてしまう。
「本来、論理は書かれた文字だけではなく、ジェスチャーや抑揚、文脈など、多様なコミュニケーションによって作られるものだったはずなんです」と、山極さん。
「それなのに、逆に文字が論理を作ってしまっている。文字と論理との役割が逆転してしまっているんです。」
さらに、我々人間の脳は、ここ1万年の間縮んでいるそうです。
なぜなら、文字をはじめ、パソコンやスマートフォンなど、脳の外付けデータベースをたくさん手に入れたから。
わざわざ自分で記憶しておく必要がなくなったんですね。



わたしは積極的に外付けデータベースを活用して、脳の記憶容量を空けるようにしていたけど、それは人間の歴史的な縮尺で見たら良くないことなのかな?
一貫して現代社会に警鐘を鳴らしている山極さんですが、この本の『新たな社交』という項で、「人間のテクノロジーと人間本来の共感の力を両立させるにはどうしたらいいか」という鈴木さんの問いに対して、このように答えています。
身体性を忘れずに新たな社交を作ればいい
よって、山極さんは「オンラインだけじゃ縁は作れない」とおっしゃっています。
でも、わたしはそうは思いません。オンラインでも縁は作れます。実際、会ったことはないし顔も知らないけど縁を感じているオンライン上の繋がりの人たちはたくさんいます。
確かに文字のコミュニケーションだけだと縁は作りづらいかもしれませんが、声や文字をやりとりすることによって、縁を作ることはできると思っています。
そこから「会ってみたいな」ってなって、実際に会って一緒にごはんを食べたり遊んだりして、山極さんの言う『身体性のある社交』に繋がることだってあると思うのです。



ただ、『身体性のある社交』=縁ということなら、確かにオンラインでは無理かも
ずっと警鐘を鳴らし続けていた山極さんですが、「テクノロジーを使って新しい縁をどんどん作ればいい」ともおっしゃっています。使い方さえ間違えなければ大丈夫だと。
まとめ
動物たちの言葉を出発点として、我々人間がこれからどうあるべきか?というお話にまで発展して、非常に興味深い内容の本でした。
ひさしぶり(数ヶ月ぶり)の読書という点ではちょっとカロリーが重すぎたかな?とも思うけど(笑)、濃厚で満足感たっぷりな素晴らしい本でした。
こうして、たくさん思ったことをブログに書けたのもよかったです。文字の発明ありがとう!笑
いい本でした!
\ぜひ読んでみてね!/